2013/11/06

Geriatric Nephrology 13

 私がフェローのとき、今は亡き恩師が患者さんの家族に「全ての患者さんが透析を受けなければならないというわけではない」と説明していた。透析をしないという選択肢もあるのだということを端的に、かつ色をつけずに示すやり方だなと、横で感心した覚えがある。では、透析をしない・やめるというのはどういうことなのか(もっともこの二つは状況が大きくことなるので一括りにできないのだが)。
 ここでは透析をやめるということについて。じつは透析をやめるというのに、はっきりした定義がない。だから研究しようにもそこから始めなければならない。医学的な理由でできなくなったのか、ご本人の意向でしないのか、必要なくなったのか、必要になってもしないという方針で(もちろん変わってもいいわけだが)やめたのか。
 透析をやめてどれくらい生きられるのか?数多くのスタディがあるそうだが(NEJM 1986 314 14、NDT 1996 11 133、AJKD 1998 31 464、Arch Int Med 2000 160 2513、NDT 2004 19 686)、だいたい8日間だそうだ。短い場合も長い場合もあり、残腎機能によるのだろう。
 透析をやめるケースはどれくらいあるのか?USRDSは死因の報告を義務付けているのでデータがあるが、約20%。英国のRenal Registryによれば、14-15%だった(ただしこちらのレジストリは死因報告の義務がない)。
 いずれにせよ、これだけでは数字なので詳しいことが分からない。しかし今日いろいろ聴いて分かったのは、透析は始めるよりも始めない・そしてやめるほうがずっと難しいということだ。やめたほうがいいとかそういうことではないが、医療側が「しない」という選択肢を提示しないことによる苦痛もあるわけだから、透析に関わる者として説明できるようになるべきだと思っている。