2007/11/27

暴れ者

 ときには暴れ者が入院することがある。指示に従わない、そして自分なりの理屈をもってそれを怒りながら主張する。議論をしても非を認めないし、「こうしないと危険があるということはお分かりですね、伝えましたからね」と免責して相手の好きにさせがちだ。しかし、逆にいえば非を受け入れられないからこそ自分の正しさを強弁するしかないのだ。
 そういう人は、怒っているけどほんとうは助けてほしいのである。それが人間である。その(場合によっては意識下の)メッセージを受け止めて接しなければならない。しかし怒りをもって接されると、こちらも心の平静がおびやかされ穏やかでない。ある程度距離をとりつつ、言いなりと撥ね付けの間を行ったり来たりしながら対応するしかない。
 透析患者の人たちは、いままでの生活、仕事、自尊心など非常に多くのものを失う。受け入れられないのが却って普通なのである。受け入れるには、基本的には時間と馴れしかない。これらの問題について扱うpsychonephrology(精神科+腎臓内科)という領域が重要視されている。

2007/11/15

教育入院

 腎臓病の人は、原因がなんであれ基本は蛋白制限が必要だ。蛋白が多いと腎臓で排泄される過程で腎臓を障害してしまう。また、エネルギーをたくさん摂取しないと身体の蛋白質(筋肉など)が分解されて結局腎臓にとどき悪さをしてしまう。蛋白を制限して、糖と脂肪をたくさん摂取するよう薦められる。
 ちょっとイメージしにくいので、「教育入院」してもらうこともある。糖尿病も「教育入院」させることがあるが、いまの病院では、病院で病院食をたべて血糖をよくしても退院して元に戻るなら意味がないとして、教育入院はさせていない。
 教育入院した患者さんは、栄養師さんから授業形式で説明を受けたあと、個別に面談を受ける。ふだんの食事に何を加える(あるいは減らす)べきか考える。外来でやれないこともないし、実際退院後にどこまで活かされるかはわからないが、入院して生活を見つめなおすのも良いかもしれないとも思う。

安全確保

 透析のあいだ血液の一部が常に体外に出されている(1分間に150-200ml抜いて、そして戻している)ので気分が悪かったり寒かったりするが、慣れた患者さんはじっとしてテレビを観ている。それが、4時間くらいかかる。慣れない人は大変である。誤って血液を抜いてくる管をはずそうものなら血まみれの事故になる。だから、管を触ろうとする不穏な人には、寝てもらうこともある。

 事故があってはならない。透析室では何人もの人たちがベッドに横になって透析を受ける。中央のタンクで浄水から透析液がつくられ、各患者さんに供給されている。一人だけにかかりきりになるわけにも行かない(心筋梗塞後など、きわめて不安定な人は別)。事故などあれば本人のみならず、他の患者さんを極めて不安にさせてしまう。

 とはいえ昼間から鎮静剤を使って夜に眠れないのもつらいので、時間があれば付き添って鎮静剤を切ってあげることにしている。それに、患者さんが透析に慣れてくれば、薬もいらなくなるだろう。

2007/11/12

不全感

 動脈硬化を元に戻すことはきわめて難しい。よくはできないこと、いままでの生活習慣の積み重ねであること、悪化すれば血管が詰まる・破れるなどの合併症が起こること、これらは直視したくない事実だ。そして、いままでの生活を是正し、薬をのみ、採血され(針を刺され)、うまくいかないと落ち込む、がんばっても、治せるわけではない。「しんどい」ことと思う。

 患者はそれだけのことを、何のためにするのか。医師はそれだけのことを、何のためにさせるのだろう。患者がハッピーになるためのはず。患者は、病院に通うために生きているのではない。ハッピーに生きる(のを助ける)ために病院に通っているはずである。協力してうまくやる、不全感を克服することが大事と思う。

2007/11/09

血管の病気

 腎臓内科で勉強している。腎臓が勝手に脹れて故障する病気もあるが、大抵は高血圧、糖尿病などで動脈硬化が進んでなった病気をみている。というのも、腎臓は血液をろ過する工場で、細い血管のかたまりだからだ。1分間に1Lもの血液(心臓から出た血液の1/5)が腎臓を巡る。

 動脈硬化が進めば、心臓の血管も狭くなり、脳に行く血管も狭くなる。心筋梗塞、脳梗塞を起こした患者さんも多い。腎臓が悪い人は、そうでない人に較べ圧倒的に病気になりやすく、重症化しやすく、何かにつけ病院に来て、多くの場合入院することになる。

 腎臓内科医は本来は透析をまわさずに済むよう努力するのが仕事である。しかし、透析という国営医療(月60万円かかっても自己負担は1万円以下)が充実した日本では、建前ではなんとか悪化を食い止めよう、といいつつ、本音は、悪くなっても透析がある、と思い勝ちらしい。