2007/12/29

節目にあたり

 私はこの2ヶ月間フル回転だったらしい。自分にはあたらしい科だったので、知識や経験を吸収しようと一生懸命だった。透析のことも、透析室に日参しては本にかじりつきスタッフの皆さんに聞いてまわった。透析事典という本を、100頁くらいコピーしたかもしれない。指導医の先生もねぎらってくれた。

 終わるに当たり、虚脱感をあじわっている。虚脱感は、中学1年生の体育祭後におこった。中学受験のときは「受験で燃え尽きない頭脳の育成」を謳った塾に通っていたので大丈夫だったが、体育祭前の熱き練習の日々、そして本番・優勝という興奮がおわったあとにぽかんとしていたのを思い出す。

 昨日は仕事納めで、夕方に職員の多く(数百人)が集まり立食の食事をとりながら歓談した。新しい職場で話す相手もいないとおもったら、透析室の皆さん、看護師さん、リハビリスタッフ、事務の方々など、共に患者さんのために良かれと思って働いた人たちがたくさんで和んだ。

 「来年はどうするんですか?」「来年はあんなことをしたいですね」「来年もよろしくおねがいします」「○○病棟、○○室で待ってます」ありがたい言葉である。熱心だなどと、評価してくれる人もいる。もったいない言葉、励みになる。確かに来年もあんな新しいことやこんな楽しいことをしたい。

 一方で、来年は大きな変化の年である。折角こうして新しい仲間を得たのに残念ではあるが、別れと出会いは避けられぬさだめ。前の職場の人たちとも、もう一生会わないかもしれないがきっと繋がっているに違いない。おたおたしていられない、次の目標に向っていかねば。

2007/12/26

生理学

 電解質異常、酸塩基平衡をとりあつかうのも腎臓内科である。体液バランス、イオンバランスが崩れた状態のことだが、腎臓がこのバランス(恒常性、ホメオスタシス)を保っているからである。これらの病態理解と治療計画を苦手に感じる人はおおいようだ。私など研修医時代、理解できなくて辛い思いをすることを「低ナトリウム血症」という隠語で表現していたくらいである。

 細胞内外の物質移動、血管内外の物質移動、腎臓内外での物質移動を理解し、それに基づく系で計算式をたてるのがこれら治療の基本である。生理学の根底を理解するのに勉強になるし、理論をたて、治療を計画し、結果をチェックして考察するというところが科学的である。

 まじめに考えると、計算をえっちらおっちらしているうちに何時間も過ぎていることがあるが、結果がついてくるのはうれしいものだ。なんとなく治療すると一向に下がらない値が、ちゃんと計画してやると順調に下がることもある。

 ただ、あまりに熱中すると他の問題点がみえなくなって、患者さんにマイナスになることもあるので注意が必要だ。点滴だけで治療することしか頭にないと、食事をはじめるタイミングが遅れることがありうる。状態は刻々と変わるし、広い視野が必要だ。

2007/12/11

難しい場面

 ちょっと先の見えない患者さんがいる。手を尽くしているが、押してもだめ、引いてもだめである。このままジリ貧かと思うときつい。透析医療は、慢性期のどんづまりの医療である。導入された時点で、患者さんは死を意識するという。じっさい、段々状態がわるくなってくる。でも、死を意識しながら生きることに人はたえられない。心の準備ができる人など居ない。
 ある意味では、先が見えているのである。しかし、医者がもう助かる方法はありませんと言ったら大変なことだ。死にゆく人のそばにいること。あまり抱え込むと、燃え尽きてしまう。心の底に冷たさを宿していなければ、心の安定を保つことは難しい。

2007/12/04

もう一ヶ月

 今週から新しいクールになる。引き続き腎臓内科で、一ヶ月いたなりに教えられることもあり、その先に知りたいこともある。教えることは、学ぶことである。これを機会に知りたいことについて調べたまとめをしてみよう。考えるべきことはたくさんある。手技もあるし、一層がんばってみよう。

熟練

 経験豊かな人は、人に教えるのも上手である。針を血管に刺すにしても、血管の走行を見る方法や、血管に到達するまでの距離を知る方法など、きわめて実践的である。それらが、あたりまえに意識せずにできるようになって、やっと一人前である。合併症をおこさないようにできるひとが一人前、合併症を万一おこしても対応を知っていて一人前である。