2011/08/07

ある夜の出来事 3/3

 (前回からの続き)こんなに丸見えの静脈で指導医を夜中の2時に呼びだすことになろうとは思わなかった。ともかく指導医の先生は嫌な顔せず来てくれて、患者さんをTrendelenberg位にした。今回、静脈があまりにも太く丸見えなので私はそんな必要はないと思ってしまった。こちらに来てからのレクチャで「Trendelenbergなんて意味ない」と教わったというのもあるが。

 そのあと先生は超音波プローブを90°回転し、静脈を長軸・短軸で映しながら注意深く針を進めた。長軸像では、横に伸びた静脈の上から、刺入角45°でデモ映像のごとく針が進む。そして先端が静脈壁に触れたときに、私は目を疑った。

 静脈壁が伸びる伸びる、よく伸びる。vasodilatationで弛緩しきった静脈は、針が来てものれんに腕押しだ。へこむばかりで針は静脈壁をなかなか貫通しない。ここでそのまま進めたのでは、浅い側の静脈壁が深い側に達し、針が両方を突き抜けてしまう。それで先生は針を小刻みに動かし、浅いほうの壁を貫いて血管内に入った。

 この時夜中の3時。そのあと私が手技を引き継ぎカテーテルを無事挿入し、家族に「無事入りました」と報告し、胸部X線を待つ間に昨日から残っていた仕事を終わらせた。このまま完全徹夜になったら翌日働けるかなあとぼんやり心配しながらX線でラインが正しい位置にあることを確認し、さあいよいよ透析を回そうかと患者さんを見に行くと、血圧が本当に低い。三つ目の昇圧剤が使われていた。これには万事休すと言わねばならない。

 午前4時、主治医チームが家族に説明するのを手伝う。透析が却って患者さんを害すること、残念ながら腎臓の代わりをする方法はないこと、それ以前に全身の状態が悪化しており腎臓どころではないこと。"I am so very sorry for him..."という最後の私の言葉に泣き崩れる家族を支え、それでも患者さんの苦を除くなど出来ることをしようと励ます。午前5時、主治医チームにあとの治療は任せて、私はMICUの使われていない部屋で少し寝た。

 翌朝病院の庭を歩いていると、リスが歩いている。ああリスも必死に生きているんだよな、という考えが浮かんだ。と同時にガクっときた。分かっていた。私にはこうなることが分かっていた。病状の変化、家族の心の変化、どれも想定されていたことだ。だから心を動かされることはないと思っていた。でも、今回は自分がより責任をもって診療したためか、ラインが入らなかったときにはがっかりしたし、入った時には嬉しかったし、病状が悪くなって悲しかったし、家族が泣き崩れたときにはしばし目を閉じて苦しみを共有した。
 
 助けられないと分かっていても、たった数時間で一期一会の診療でも、それでも何かできることがある。この感情の共有には、きっと意味がある。ホスピス専門の医師でなくても、家庭医療医でなくても、一医師でもできるはずだ。できたじゃないか。これは、いま物凄い勢いで学んでいる医学知識や診療診察に勝るとも劣らず重要なことかもしれない。