2013/03/23

腎臓解剖生理学の歴史 1/2

 異なる生き物達の仕組みを調べる学問を比較生理学(comperative physiology)という。古くはアリストテレスの『動物誌』(紀元前4世紀)にさかのぼり、その後も様々な研究者達による発見が生物、ひいては人間の仕組みを解き明かして行った。

 現代腎臓生理学の父とも言われるDr. Homer Smithの論文(JAMA 1953 153 1512)によれば、最初の巨人は17世紀、心臓生理学の祖William Harveyに約50年遅れてイタリアに生まれたMarcello Malpighiだ。彼は鶏やカイコ、植物など様々な生物を顕微鏡で研究した。昆虫の排泄器官、マルピーギ管でその名を知る人も多いだろう。

 彼は肺の構造について研究し、毛細血管(とそれが小動脈と結合していること)を初めて発見し1661年に発表した。それまでは、心臓と循環の研究の最先端にいたHarveyさえも血液は間質を滲みて小動脈から小静脈へ移動すると考えていた。

 つづいてMalpighiの15歳年下のLorenzo Belliniが、1662年に19歳でシカの腎乳頭を観察して繊維質に見える筋が実は中空の管(Bellini's duct、現在の腎乳頭集合管)であることを発表した。Malpighiも腎臓の研究をつづけ、腎臓により細かい管(uriferous tube、現在の尿細管)、それに毛細血管が束になって出来た小さな球体(Malpighi's corpuscle、現在の糸球体)があることを発見した。

 MalpighiとBelliniが用いていた顕微鏡の倍率は、なんと30倍程度。それが19世紀になって、300倍程度の倍率をもつ顕微鏡により1842年、英国のWilliam Bowman(本業は眼科医)が糸球体の構造を発表した。糸球体の壁側上皮層をBowman嚢と呼ぶのはこのためだ。これだって、染色技術がない時代のことだから驚異的だ。さあ、このあとどうなるか?つづく。