そしてIgGが基底膜に詰まっては、免疫複合体とか補体とかが沈着して炎症など面倒なことになる。腎生検の電子顕微鏡で腎炎・ネフローゼにみられるelectron dense deposit(高電子密度沈着物、図は日本病理学会による病理コア画像から)など、まさに基底膜に沈着した免疫複合体をみている。
それでは困るので、足細胞が基底膜からIgGを除去していると、この論文からは考えられる。実際マウスに高濃度のIgG注射をおこなうと、(足細胞のFcRnが飽和するためか)基底膜にIgGが沈着した。またアルブミンを注射した(FcRnの飽和を意図した)マウスにネフローゼをおこす抗体を極少量注射しただけでも、蛋白尿がみられた。
蛋白尿=基底膜の異常=基底膜の病気、というわけでは必ずしもなくて、内皮細胞や足細胞の病気(足細胞病、という言葉もある)ととらえなおされている、という枠におさまるお話だなと思う。前の投稿によれば、そこにさらに近位尿細管も加わるのかもしれない(たとえば、糖尿病性腎症やAlport症候群に治験されているバルドキソロンは糸球体の炎症を抑えるが、尿細管ではmegalin発現をさげて蛋白尿を起こす;JASN 2012 23 1663)。
なお、その近位尿細管は足細胞を通り抜けたIgGをアルブミンのように再吸収するかと言うと、そうではないらしい(JASN 2009 20 1941)。これが、尿路の免疫として身体を守っているという説を唱える人もいる(J Immunol 2015 194 4595)が、いまだ推測の域をでていない。
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そしてこの詩はこう終る;
I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.
(虹をみて心が躍る少年のように)自然を敬う心に満ちた日々を送れますように、というような意味だ。