CO2血管造影でもふれた空気塞栓だが、米国腎臓学会のオープン・フォーラム(ネット掲示板のような)に関連話題があった。内頚静脈に透析カテーテルを留置してから失語になった「ナゾの症例」がインドの先生から相談されていた。おそらく、PFOがあって空気塞栓が脳の動脈につまったのだろうという回答がでていた。
その関係で得た、カテーテルにまつわる歴史をいくつか。
1.ショルドン・カテーテル
いまの病院では大腿静脈から挿入する短期透析カテーテルをショルドンカテーテルと呼んでいる。略して、ショルドン。有名かもしれないが、これは英国の腎臓内科医スタンレー・ショルドン先生(写真はERA-EDTAサイトより)の名にちなむ。
ショルドン先生は、透析したくてもシャントを作ってくれる外科医がたりず、外科医に依存せず透析ができるようにカテーテルを挿入して透析を行った。最初は大腿動脈と大腿静脈に挿入していたが、動脈は出血が多くV-Vがよい結論に至った。1961年のことである。その後、大腿静脈だけでなく、鎖骨下静脈をふくむさまざまな血管でためされた(NDT 2005 20 2629)。
欧米でカテーテルによる透析が主流になったのは、ショルドン先生の影響といえるから複雑なところもある。が、とにかくシャントをできる先生や施設が不足していた当時、カテーテルでも透析ができるようにして多くの命がすくわれた。在宅透析の考えもはやくから提唱し、透析を身近で簡便にしようと考えていた方だ(「透析を慢性腎不全のインスリンにする」と言っていたそうだ、追悼記事のLancet 2014 383 508より)。お悔やみ申し上げる。
2.初めての鎖骨下静脈カテーテル
現在では鎖骨下静脈に透析カテーテルを挿入することは避けられる(狭窄を起こすため;同側にシャントをつくると上肢の浮腫がいっそう増悪する)。鎖骨下静脈への中心静脈カテーテルは、患者さんにとって快適なのでICUブックのロマノ先生はイチオシしている(気胸リスクは内頚静脈でも免れないという立場だ)が、エコーがつかえないし圧迫止血もできないから行われる機会は減っているとおもわれる。
その鎖骨下静脈カテーテルをはじめて報告したのは、ロベール・オーバニアック先生(写真はこちらのサイトより)。報告したのは、フランス語の雑誌だ(Presse Med 1952 60 1456と、Sem Hop Paris 1952 28 3445)。彼は当時フランス領だったアルジェリアにうまれた医師で、よく「オーバニアック先生は戦場で鎖骨下カテーテルを挿入した」と紹介される。しかし正確にはちがうみたいだ。
彼は大学の解剖学教室にいたときに軍医としてイタリア戦線に向かった。そして、たしかに1944年2月、地雷で両腕がもげ、肩からふっとばされ肺尖部が露出しているアメリカ兵を診察した。そして彼はショックを治療するために残されていた太い静脈に管をいれ血漿を輸血した。しかし「鎖骨の下(sous-claviculairer)から入れたけれども、鎖骨下静脈(sous-clavière)にいれたのではない、あれは腕頭静脈だった」という彼の文章がこちらのフランス語サイトに紹介されている。
真相がどうであれ、彼は終戦後もアルジェリアで鎖骨下静脈への穿刺を実験し、ついに患者さんに試し成功した。これが、結核にたいしてパラアミノサリチル酸(PAS、NEJM 1950 242 859に報告あり)を安定して点滴するルートとしてさかんにつかわれた。体動によって影響されない場所なので患者さんへの負担もすくなかった。
結局、第五共和政の大統領に就任したドゴールが1962年にアルジェリアの独立を承認し、48歳のオーバニアック先生はマルセイユに移った。2007年7月に交通事故で亡くなるが、その右胸には治療のため鎖骨下静脈カテーテルが入っていたという。合掌。
ふだん何気なくみるメール(オープン・フォーラム)や、お仕事の一コマから、このようなお話につながる。これからも好奇心をもって扉や窓をあけてみよう。