2020/02/07

救急室と酸塩基 後編

前編からのつづき:AG開大・浸透圧ギャップの開大した著明なアシドーシス症例で、尿馬尿酸が陽性。どういうことですか?)


 馬尿酸といえば、トルエンの代謝産物だ。体内に曝露されたトルエンは、肝臓でメチル水酸化・酸化されて安息香酸となり、さらにグリシン抱合により馬尿酸になる(下図も参照)。そして、主に馬尿酸として腎から排泄される。





 体内に入った有機物質のうち、荷電していない分子は、浸透圧ギャップを上げる。しかし、代謝されて陰イオンになってしまえば、そのぶん血中からHCO3-イオンが減るので、浸透圧ギャップは閉じる。そして、そのかわりにアニオンギャップが上がる。

 だから、トルエン分子じたいは浸透圧ギャップを上げるし、代謝された馬尿酸イオン(hippurate)はアニオンギャップを上げる。

 ただし、通常は肝臓がすばやくトルエンを代謝してしまうので体内にトルエンは残らない(浸透圧ギャップはあがらない)ことが多い。また、馬尿酸イオンも腎臓がすばやく排泄してしまう(糸球体ろ過だけでなく、尿細管から能動的にも排泄される)ので、アニオンギャップも上がらない。

 しかし、摂取後短時間であった場合や、摂取が大量の場合、さらに、肝機能や腎機能が低下している場合(搬送後まもなくショック・無尿となった、など)には、体内にまだまだ代謝前のトルエンや排泄前の馬尿酸イオンが残り、両ギャップは上昇する。


Q5:尿アニオンギャップは、いくつですか?

尿Na    97mEq/l
尿K      60mEq/l
尿Cl     73mEq/l

 尿アニオンギャップは、尿Na+K-Clで、84mEq/l。信じられない値である。そもそも尿アニオンギャップは、陽イオンであるNH4+を推定するためのもので、酸排泄に問題がなければ負の値になる。

 それがここまでプラスに振り切れているのは、尿中にNH4+がないからではなく、未知の陰イオンが溜まっているからだ(血液のアニオンギャップと同様に考えればよい)。本例では、馬尿酸イオンや安息香酸イオンと考えられる。


Q5:尿浸透圧ギャップは、いくつですか?

尿浸透圧     602mOsm/kg
尿尿素         245mg/dl
(尿糖      陰性)

 計算から求められる尿浸透圧は、尿尿素/2.8+(尿Na+尿K)×2で、401mOsm/kg。よって、実測値と201mOsm/kgのギャップがある(正常値は10-100mOsm/kg)。このうち半分が陽イオンのNH4+と考えられ、のこりの半分に馬尿酸イオンや安息香酸イオンがふくまれる。よって本例では、NH4+濃度は100mEq/l程度と考えられる。

 トルエン中毒による典型的な「AG非開大」代謝性アシドーシスでは、大量のNH4+イオンが場尿酸イオンとセットで排泄されるので、ギャップが400mOsm/kg以上(尿NH4+が200mEq/l以上)に振り切れることも珍しくない。本例は、そうなる前なのだろう。


 なお、トルエンによる「AG非開大」代謝性アシドーシスは、世界中で腎臓内科のクイズや試験として頻出される、超人気トピックだ(米国腎臓学会でのクイズは、CJASN 2014 9 1132など)。本ブログでも何度か言及しているので、こちらこちらも参照されたい。


Q6:それで、どうしますか?


 典型的なAG非開大性代謝性アシドーシスでは、馬尿酸イオンとともに大量に排泄されるNa+とK+を補うことが治療の本幹となる。そのため、輸液による体液補充も、最初は重曹が避けられるほどだ(低K血症を増悪させるため)。

 しかし、本例のようにAG開大・浸透圧ギャップ開大症例の治療となると、趣きが異なる。未代謝のトルエンが大量に溜まっており、しかも尿中排泄もできず、全身状態が不良となると、やはり透析で除去するしかない。

 さらに、意識状態悪化や痙攣重積にでもなれば(トルエンは、言うまでもなく中枢神経にも影響をおよぼす)、呼吸性アシドーシスの予防と治療に、気道確保と人工換気(強制的な過換気)も避けられないだろう。

 こうしてアシドーシスを治療しているうちに、ショックを脱して腎機能が回復して脳予後良好に回復してくれればよいが、そのように救えるタイム・ウィンドウが限られていることもある。

 Kussmaul呼吸を診断するのには1分も掛からないし、血液ガスの結果が出るのも数分。そのあと、ABCを保ちながら最短・最適に動けるか。救急室の酸塩基は、スリリングだ。