結婚相手や就職先などと同様に、腹膜透析の透析液(PD液)にも下記のような「望まれる条件」があるという。しかし残念ながら、現在PD液にはグルコースとイコデキストリンの2種類しかチョイスがない。
(日腎会誌 2009 51 864) |
じつは、PDの黎明期からグルコースに代わるPD液は模索されていた。グルコースには体内吸収による除水効率の低下や血糖への悪影響だけでなく、糖やその代謝産物(glucose degradation products、GDP)などによる腹膜障害などの害が懸念されるからだ。
アミノ酸含有PD液は、除水効率ではグルコースに引けを取らないが、高BUN血症とアシドーシスが問題になる(精製が難しいため、価格も)。台湾など海外ではNutrineal®として承認されているが、その使用は低栄養患者に限られている。
グリセロールも、グルコースよりも急速に吸収されてしまい製品化には至らなかった。多分鎖ポリグリセロールPD液はラットに試されたが(Perit Dial Int 2013 33 15)、その後ヒトに応用されたという話は聞かない。
他にも1980年代には牛乳由来の「ポリペプチドPD液」なるものが開発され(ASAIO 1986 32 550)、1990年代にベルギーで患者に応用された形跡はあるが(Perit Dial Int 1994 14 215)、商品化には至っていないようだ。
結局、グルコース濃度を限ったり(日本は高濃度の4.25%PD液を使わない)、中性・低GDPのPD液にしたりといった工夫はあるものの、「非グルコース含有PD液」となると未だにイコデキストリンしかない。
そう考えると、イコデキストリンPD液は数少ない「成功事例」といえる。その開発経緯を共有するので(Perit Dial Int 1994 14 S5、Perit Dial Int 2011 31 S49)、あらたなPD液開発のヒントになれば幸いである。
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イコデキストリンの元になったのは、トウモロコシ由来のマルトデキストリン、キャロリーン(Caloreen®)である。元々は栄養剤だったが、これをPD液に応用できないかという取り組みが、1980年代の英国マンチェスターで始まった。
(こちらより引用) |
デンプンを加水分解して生じるマルトデキストリンには、さまざまな分子長の重合体が混ざっている。そこで、「サイズ排除クロマトグラフィー」による分画をおこなうと、下図のような分布がみられた。
(前掲論文より引用) |
上図には、分子量1kDaと20kDaのピークがある。有機溶媒により分画したところ、前者はすぐさま体内に吸収されてしまった。しかし、後者(ギリシャ語で20を意味するicasaに因み「イコデキストリン」)では除水が維持され、血中への吸収も少なかった。
その後、ポリマーごとの分子量を揃えるために重量平均分子量Mw・数平均分子量Mn・分子量分布(MWD)などを考慮して試行錯誤がなされた。その結果、新技術「膜分画法」などにより、ついに安価で再現性の高い7.5%イコデキストリンPD液が完成する。
前掲論文より引用 (新しいピークがイコデキストリン) |
しかし、その道のりは簡単ではなかった。1988年には、開発に関わってきたFisons社が撤退。そこで、Caloreen®の特許保持者Jerry Milnerが起業家Kevin Leechの支援を受けてMLラボラトリーズを立ち上げ、リバプール工業団地の片隅でなんとか研究が続けられた。
また、初期の開発段階では1施設33人の腹膜透析患者がのべ11の治験に参加した。幸い健康被害は最小限(数例に無菌性腹膜炎がでた)だったが、こうした文字通り献身的な協力と信頼関係があってこそ、製品化と承認にこぎつけることができた。
その後、Inveresk Research International社と提携してMIDASスタディ(KI 1994 46 496)が行われ、治験が終了した1992年にさっそく英国で認可が下りる。欧州でもすぐに認可され、米国は遅れたが2002年に認可され(日本は2003年販売開始)、現在に至る。
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いかがであろうか?断っておくが、患者の残腎機能や腹膜性能が低下してPDを離脱することが敗北なのではない。「PDファースト」よりも「患者ファースト」であり、病状やライフスタイルにあわせて適切に腎代替療法を選ぶことが大切なのは言うまでもない。
しかし、PDに技術的な改善余地があることもまた事実である。イコデキストランは、グルコース液のみではPD離脱していたであろう患者の体液管理を改善した。しかし、まだそれだけでは十分とは言えない。
英国でのイコデキストラン承認から28年。その間、小惑星から2度もサンプルが届くようになった。「胸アツ」エピソードの多い(こちらも参照)PD領域だから、不可能に思える「理想のPD液」の開発も本気でやれば実現するのではないか。筆者はそう信じたい。
(こちらより引用) |