2020/08/21

夏休み「腎」由研究 2020

 いつもと違う夏だけど、夏といえば自由研究!昨年につづき、今年も遅ればせながら「ふっ切れた」話をしてみたい。


(筆者撮影)



 なお今年はマグネシウムについて調べる機会があったので、どの話もマグネシウムから始まることをご了承いただきたい。


1. マグネシウムなどの測定


 入院でも外来でも、腎臓内科診療に不可欠の血液・尿検査。しかし、どうやって測っているかを気にしたことは、筆者はほとんどなかった。そこで、マグネシウムをふくめた主な生化学項目の測定法を紹介する(施設や検査会社によっても異なるようだ)。


ナトリウム 電極法
カリウム 電極法
クロール 電極法
カルシウム 比色法(アルセナゾIII法)
イオン化カルシウム 電極法
マグネシウム 比色法(キシリジルブルー法)
無機リン 酵素法
浸透圧 氷点降下法
アルブミン BCG(ブロモクレゾール・グリーン)、BCP(同・パープル)法
 
 なお、クロール測定電極によっては臭化イオンも測定する(過去の投稿や、日内会誌 2017 106 2410も参照)。またアルブミン測定は日本はほぼBCP法であるが、世界には誤差の大きいBCG(同・グリーン)法の施設も多く、ネフローゼにおけるDVT予防の抗凝固開始時など、注意が必要だそうだ(KI 2019 95 1514)。


2. マグネシムと製塩の歴史


 上記、マグネシウムの測定法について調べていると、「キシリジルブルー法によるマグネシウムの比色定量」なる文献がみつかった。しかし読んでみると、なんと日本海水学会誌(海水誌 1981 35 28)からの報告だった。

 そう、マグネシウムは体内にこそ約24グラムしかなく、約1000グラムとされるカルシウムよりずっと少ない。しかし海水ではナトリウムと塩素についで3番目に多いのである(水分子の水素と酸素をのぞく;下図はこちらから)。




 製塩とは結局、海水からいかに副成分(カルシウム、マグネシウム、硫化物など)を除き純度の高いNaClを得るか?という問いである。そのため日本では伝統的に、揚浜式塩田・入浜式塩田(潮の干満を利用)・流下式製塩法(枝条架を利用)が行われていた。

 しかし、1970年代からは本格的にイオン膜・立釜法に置き換えられた。この方法はED(電気透析、electrodialysis)とも呼ばれるが、イオン交換膜の選択性がたかく、海水を濃縮してできる鹹(かん)水中の副成分は従来より減少し、その組成も変化した(下表は海水誌 2006 60 335を元に作成)。





 しかし、それもさることながら、この方法により「わが国製塩業の永年の宿領であった国際水準の塩価を食用塩の分野で実現」したと、前掲論文著者は記している。どういうことか?

 そもそも塩は江戸時代まで潮の干満差がおおきい低緯度地域でしか生産できず、できない地域は「国内輸入」していた。そして、開国後は低価格で高品質の外国塩に依存する事態となり、国内塩産業の確立が(ビールなど、ほかの産業と共に)急務だった。

 そんななか、塩は1905年に日露戦争の戦費調達目的で専売制になり、そのお金は塩田の整備や拡張などにも用いられたようだ。しかし塩田で作れる量には限りがあり、輸入がストップした第二次世界大戦中には塩も不足。1944年には例外的に自家製塩が認められたほどだった。

 そんななか、製塩効率と品質とコストを桁違いに改善させたのが、イオン交換膜法だったのである(そのため、塩田はほとんど姿を消したが)。

 海に囲まれた日本が塩のために苦しんできたことは、意外と知られていないかもしれない。その後、1949年には大蔵省専売局は日本専売公社となり、1985年に民営化(1996年には塩事業センターとしてJTから独立)。1997年には塩専売法が廃止された。なお詳細は、先月公開された『塩専売史も参照されたい。


3. マグネシウムとチャレンジャー号


 前掲論文(海水誌 2006 60 335)は冒頭に海水の成分表を載せているが、その引用文献が書かれたのは、なんと1884年。ドイツ出身でスコットランドで活動した海洋学者ウィリアム・ディトマー(1833-1892)が、英国軍艦を改造した科学調査船、チャレンジャー号が採取したデータを分析したものだった。



(Wikipedia日本語版より)


 チャレンジャー号は1872年から1876年まで世界の大洋を航海して調査を行った(1875年には横浜にも停泊している)が、ディトマーはこうして得られた77の海水サンプルを分析し、デンマークの地質学者ヨハン・ゲオルグ・フォルクハマー(1794-1865)が提唱した定比例の原理を確認した。

 定比例の原理とは、「海水は、場所によって塩分濃度に差はあっても、イオン組成比は一定」というものだ。つまり、海水は含まれる水分の差で薄まったり濃くなったりしているだけということだ。これは今でも海洋学の基礎となる原理らしい。

 なお、現在のように民間でスペースシャトルを打ち上げるようになる以前に数々のミッションを成功させた(が、1986年に10回目のミッションで分解・消滅した)スペースシャトル・チャレンジャー号は、この科学調査船にあやかって名づけられた。


4. マグネシウムと葉緑体


 クロロフィルとヘムはどちらもテトラピロール環構造をもつ分子で、どちらも金属と安定な錯体をつくる。しかし前者は鉄を配位するのに対し、後者は(筆者にとっては、なんと!)マグネシウムを配位する。1906年に初めて報告された(Annalen der Chemie 1906 350 48–82)。


こちらから引用)


 そして、ヘムは550nm程度の青~緑色光を吸収するため赤いのに対し、クロロフィルは450-500nm(B帯)の青色光と650-700nm(Q帯)の赤色光をよく吸収するため、緑色に見える。


Wikipedia英語版(Chlorophyll)より


 さらに色について言えば、クロロフィルは植物の抽出物から(分子量や溶媒への溶解性などの違いにより)下図のようにろ紙で分離できる。


(Wikipedia『クロマトグラフィー』より)


 これを最初に発表したのは、ロシアの植物学者ミハイル・ツヴェット(1872-1919)。そして彼は、1906年にこの方法をドイツ語で発表し(Berichte der Deutschen Botanischen Gesellschaft 1906  24 316–323)、Chromatogramm(色を意味するchrome+絵を意味するgram)と命名した。クロマトグラフィーのことである。

 ノーベル賞にも値する仕事だが、英字誌に発表しなかったことや、溶媒の違いなどで再現性が得られなかったことから、その功績は永らく認められなかった。そのうち第一次世界大戦がはじまり、ワルシャワ・モスクワ・タルトゥ(エストニア)などを転々としたうえ、ツヴェットは1919年6月に47歳で死去した。その墓には、以下のように彫られているという。


"He invented chromatography, separating molecules but uniting peoples."
(彼はクロマトグラフィーを発明し、分子は分離したが、人々は一つにした)


☆ ★ ☆


 いかがであろうか?お出かけできないと、却って好奇心が強まるのかもしれない。筆者としてはいろいろ発見があって楽しかったが、これがいつかどこかで誰かの何かを豊かにしたなら幸いである。