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そう考えさせられたのは、eGFRを修正すべきというヨーロッパからの意見論文がJASNの電子版に発表されたからだ(doi:10.1681/ASN.2019030238)。
著者らの主張は「高齢者で、蛋白尿などもなく、eGFRだけでCKD3A期になった人は、自然の老化でネフロン数を減らしただけであり、CKDではない」というもので、それ自体は新しいものではない(こちらも参照)。
筆者からみて新しい点は、2つある。ひとつは、世界中の疫学研究を見直して「65歳以上ではeGFRが45ml/min以下にならないと死亡率が上昇しない」という結論に至ったことだ(一覧表だけで10ページにわたり、日本からは茨城県のデータが引用されている)。
もうひとつは、小児科の成長曲線にも似た、「老化曲線」による解釈を提案していることだ(図は前掲論文より)。
たとえば、75歳の白人男性(体表面積1.9m2)でクレアチニンが1.1mg/dlであった場合、eGFRは58ml/min/1.73m2となる。しかし、上図では黄緑色のマルでプロットされ、深緑色で示された標準偏差内におさまっている。こうした場合は、CKD3A期ではなく「老化」とみなそうというわけだ。
これに対し、大西洋の向こう側(米国)では何と言っているか?
2つのエディトリアルが載っているが、いずれも一番の論点は「CKDの意義は生命予後だけではない」だ。
"Renalism"の命名者でもあるスタンフォードのChertow先生は、心血管系イベントリスクが高い(それを示した自身の論文は、NEJM 2004 351 1296)この群を、引き続き「CKD」と名付けて注意喚起すべきだと主張する(doi:10.1681/ASN.2019070743)。
また、新規アシドーシス治療薬ヴェヴェリマーを開発するTricida社(こちらも参照)の相談役でもあるテキサスのWesson先生は、この群にもみられる代謝性アシドーシスを見落とさないことが重要と主張する(doi:10.1681/ASN.2019070749)。
これらについて論文著者は「病気(CKDのDは、diseaseのD)と呼ばれることによる社会的な不利益もある」「不必要な精査・不安をいたずらに増やす」などとも指摘しており、どちらにもそれぞれ説得力がある。
今後、太平洋の向こうにある(高齢化のいっそう進んだ)わが国でもこういった議論がなされれば、CKDのヒートマップが骨粗しょう症の検査結果のように「老化曲線」を反映したものになる・・・なんてことも、あるかもしれない。