Q:問題です。
樹の幹にリスが停まっており(写真)、あなたがリスを見ようと樹の周りをまわると、リスは逃げるように周る。このとき、あなたはリスの周りをまわっているか、まわっていないか?
この話はウィリアム・ジェイムスの『プラグマティズム』にでてきて(does the man go round the squirrel or not?)、彼はそんなことを議論するのに意味はないという現実主義を唱えた。
そんな現実的で実践的な考え方はアメリカ医療にも根付いており、「議論ばかりしているけど、結局プランは何?」とか「やってみよう、やってみて考えよう」という態度が医療者側にも患者側にも感じられるときがある。
Q:続いて質問です。
初期輸液の細胞外液は0.9%NaClがよいか、電解質バランスの取れたものがよいか?
Yes or Noと言われても困るかもしれない。私としては以前に投稿したように、RCTとしては2015年に豪州・NZからRCTがでて、より大規模のPLUSなどが進行中で結果待ちと思っていた。
しかし、それを待たずに昨月米国らしい「プラグマティックな」スタディ、SALT-EDとSMARTがでた(それぞれNEJM 2018 378 819、NEJM 2018 378 829)。
米国中心の腎臓内科コミュニティーNephJCでも取り上げられているし、おそらくMarch Madness(米国中が大学バスケットボール部のNCAAトーナメントに熱狂することを言う)よろしく日本でもいろんな病院ですでに議論たけなわなことと思う。
そこで、遅ればせながらこのブログでも、「プラグマティック」スタディとは何か?、また「で、どうするの?」というプラグマティックな点などを中心に数回で紹介してみたい。