2010/02/13

Academia

 天下のJohns Hopkins、ここはAcademiaという別の国なのだなと思う。米国医学教育発祥の地といってもよい本場では、各facultyの教育に対する熱意と、学び続ける強い情熱がちがう。それがインタビューをしたり昼のカンファレンスに参加したりして伝わってくる。特に腎臓内科はそれが満ちているのか、フェローの数は他の科に比べてとても少ないにもかかわらず毎年のようにbest teacher fellowを輩出しているらしい。私の居る病院は分院だけど、どちらの先生にも教わることができるし、診療の場が分院(市中病院)なほうが却ってcommonな病気をよく診療出来そうだ。研修医は本院のほうがtoo confidentなのに対し、分院のほうが教わり上手で話を聞く子が多いらしい。rareな病気も分院とはいえ沢山くるみたいだし、分院で診れないものは本院で補われるようになっている。二年間終わって「おれは何でも診れる、診たことある」と自信を持っていえるプログラムだとフェローやここ出身のアテンディングが太鼓判を押していたのは、きっと本当だろうという印象を持った。

2010/02/11

Thomas Jefferson

 Thomas Jefferson大学は、都心にあって歴史も実績もあり、この街に4-5個ある医学部のなかでは名門の部類にはいる(ペンシルベニア大学のようにIvy leagueではないけど)。一学年あたり300人の医学生が在籍する、巨大な医学部である。ただ病院は古くてせまく、前述の特徴を合わせても、なんだか日本のわが母校をみたような既視感を味わった。
 大雪のため面接はあまりテキパキとは進まなかったが、それでもキャンセルされていたら代わりの日も選べなかった(研修医にそんな余裕はない、それに飛行機代もバカにならない)ので助かった。アイオワ大学の面接に見られたような「おれたちが未来をつくる」という意気込みは感じられなかったが、「ここは名門でスゴイんだぞ」と皆が思っている感じを受けた。
 プログラムディレクターは、私が他にどの病院を受けるのかをすべてリストアップさせ、さらにいまいる病院にICUベッドが何床あるかを訊ねた。症例を与えられ考えを述べさせられたりもしたが、臆せず楽しんで回答できた。彼は「知識を問うというよりも、ストレス下にどう対応するかを見ているのだ」と言っていた。その過程でEwart's signという心嚢液貯留に伴う身体所見を教えてもらった。
 ルーマニア系(名字がそんな綴りだったので訊いたらそうだった)の先生と面接したけれど、この先生は教育にとても情熱のある先生で意気投合した。また、私が研修において独立の気風を重んじていることをとても評価してくれた。Yale出身でペンシルベニア大学を経て今の大学に移ったという経歴で、かつフランスと南米の病院に留学したことがある(仏、西語で診療できる)この先生とは、一緒に働いたら面白そうだなと感じた。

2010/02/10

アイオワ

 初の面接は(大統領の予備選挙ではないが)アイオワ、二年ぶりの訪問である。レジデンシーの頃と違い、応募者・ポジション数ともに少ない(レジデンシーは1000-2000人の応募者、フェローは200人)ので病院側も振るい落とす質問を沢山せずにすむようだ。お互いの相性が合うかを確かめあったりと、勧誘の向きが強かった。
 Program directorは、「ポジション数は3、応募者の中でもっともよい腎臓内科医になりそうな人上位3人を選ぶ。彼らが何をしたいかは問わない、何をしたくてもそれをサポートする環境を作る。」という大らかな発言をした。遠隔地にある巨大な病院で、研究・診療とも国内トップレベルだった。さらに場所柄、「自分以外まわりに医師が誰もいない環境でも独りでやってゆける力をつける」という気風が感じられた。