初の面接は(大統領の予備選挙ではないが)アイオワ、二年ぶりの訪問である。レジデンシーの頃と違い、応募者・ポジション数ともに少ない(レジデンシーは1000-2000人の応募者、フェローは200人)ので病院側も振るい落とす質問を沢山せずにすむようだ。お互いの相性が合うかを確かめあったりと、勧誘の向きが強かった。
Program directorは、「ポジション数は3、応募者の中でもっともよい腎臓内科医になりそうな人上位3人を選ぶ。彼らが何をしたいかは問わない、何をしたくてもそれをサポートする環境を作る。」という大らかな発言をした。遠隔地にある巨大な病院で、研究・診療とも国内トップレベルだった。さらに場所柄、「自分以外まわりに医師が誰もいない環境でも独りでやってゆける力をつける」という気風が感じられた。